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旅の終わりに…… [「映画館に、日本映画があった頃」]

「映画館に、日本映画があった頃」のあとがきに当たる文章です。掲載当初から寝た子を起こすみたいな過激な文章に一部編集して掲載も検討したのですが、30代前半という一番ギラギラとして仕事に意欲を持っていた頃の野沢自身の心情を書いたものなので、そのまま掲載しました。 しかし、前回も書きましたように、その後お仕事をしていく中で関係各所との関係改善はされておりますので誤解のないようにお願い致します。

「旅の終わりに……」

 数えてみると、全53本のエッセイだった。
 それは、他人の映画を俎上に載せての、脚本の技術論だったかもしれない。効果的な伏線とは何なのか。劇的構成とは何なのか。デビュー10年の若造が書く技術論だから、先輩の同業者たちが読むと失笑モンかもしれないが、脚本家志望者と脚本家の違い、といったことぐらいは言及できたように思う。
 こうして全回分を読み返してみると、野沢という脚本家の、創作に向かう際の一定の法則や思考回路といったものが窺える。
 根底にあるのは、本格ミステリーのパズル性のように思える。小学校5年生の時にヴァン・ダインの文庫本を手にとってしまった男の宿命なのか、伏線や種明かし、といった作為に異常なこだわりがある。
 また、これはデビュー当時から、僕の育ての親とも言えるテレビの監督に教えこまれたことだが、常に登場人物が『哀しく』ないと許せない。だから、過去をほり下げず、内実に一歩も迫っていない人間造形は徹底的に批判している。
 そうした技術論とはまた別に、このエッセイは自分自身の30代前半の記録だった。
 仕事への絶望と希望。ストレスや病気。家庭状況。
 ここまでさらけ出さなくてもいいのに、と思える文章もある。案外僕は露悪趣昧なのかもしれない。
 きっと、文章に吐き出して少しでも楽になりたかったのだろう。
 例えば、深作さんと作ってきた脚本の顚末。
 浮き沈みを繰り返し、結局、映像化不可能の烙印を押された。
 映画にできないのなら、小説にしてやる。
 執念だった。
 やっと今年(94年夏)、2か月のスケジュールを確保して、酷暑の中、書き上げた。
 出版について面倒見てくれそうな会社もあったけど、僕白身の再出発にふさわしい発表の仕方をとることにした。
 城戸賞というコンクールで出発したこの10年だった。ならばもう一度、野に出て、自分の力を試してみたくなったのだ。
 出来については、ほんの少し、自信がある。
 エッセイの終盤で、もう脚本家をやめたい、と書いたら、実に多くの人達から「あれは本気づすか?」「人騒がせであんなこと書く訳ないよね」「元気出してくださいよ」……と様々な声を掛けてもらった。
 気持ちは本心だ。
 本心だが、僕には僕の戦略がある。
 緩やかにカーブして、自分にふさわしい作家人生を獲得しようと思う。

 技術論であったり、この4年半の記録であったりしたけれど、同業者の批判もした。
 大森一樹さんはまだ怒っているだろうか。僕が書いたテレビ版の『満月』は、1年たっても3年たっても実現のメドは立っていない。仕事場の書架に並んでいる台本は永久にお蔵入りかもしれない。あれほどエッセイで吹いといて実現できないのはかなりみっともないけど、こればっかりは僕の責任ではない。
 批評家の批判もした。
 試写室で映画を見続ける人は、必ず麻痺する何かがある。映画と観客の『商取引』について言及しないことは、映画について書く時、どう考えても方手落ちだと思う。だからその役目を僕が引き受けてやってみた。
 映画を見終わって劇場を出てゆく人たちを窺い、心を読み取ろうとした。
 簡単には読み取れなかったけど、少なくても、映画人は常に劇場にいなければならないと痛感した。
 映画人へのこだわりは一頃より薄らいでしまったけれど、これからも劇場には居続ける。やはり映画が好きだから。
 だから、渋谷宝塚の今にも壊れそうな椅子だけは早く直して欲しい。
 映画の仕事をした。「キネマ旬報」に批評が出た。いい文章だ。しかし、枚数制限のためか肝心な部分に分からない記述がある。
 こういう時に遭遇したら、僕はその批評家に手紙を書こうと思う。
 「その点について、もっと詳しく批評して下さい」
 無視して返事をくれなかったら、2度とその批評家を信用しなければいい。
 これが、作家と批評家にふさわしい距離感だと思う。よくよく考えた結果、僕には、的確な言語で僕の作品を分析してくれる人間が必要なのだと分かった。
 批評家と言われる人たちの限界や欠落点も分かった上で、彼らの見識を必要とする。そんな付き合い方ができたらいいのだが。
  一緒にに仕事をしたスタッフも批判した。
  最終回のエッセイは、業界内でかなり物議をかもしたらしい。特に東映では「何もあそこまで書かなくてもいいではないか」という声も上がっていたと言う。
 あのエッセイは言いたいことの半分ほどだったけど、書いたことについて後悔はない。書いたことでどれだけ自分の仕事場所を狭めるか、それも覚悟の上だ。
 ただ、実名こそ出さなかったものの槍玉に上げたスタッフが、あのエッセイのために社内的な立場を危うくするのだとしたら、心苦しくは思う。
  
『映画館に、日本映画があった頃』
 不遜なタイトルを付けさせてもらった。
 日本映画はどうなるのか。
 エッセイの作業で感じとったことがある。
 番組の穴埋めのためとか、製作会社の自転車操業のためとかで作られた映画は、必ず失敗している。映画が成功するかどうかは、陣頭指揮に立つ者の精神の重さにかかっている。
 汗だくで走れる人。今、そんな人がどれだけ業界に存在しているのか。
 僕は何人か知っているけど、汗もかかず、言葉も足らず、椅子にふんぞり返って金勘定に明け暮れている人の方をむしろ多く知っている。
 少し前までは、そういう人種は駆逐すべきだ、と戦闘的だったけど、今は視界の外に置いておけばいい、ぐらいにしか思えない。
 見放しかのか。覇気がなくなったのか。
 こういう男にシナリオ作家協会・紛争処理委員会の理事は向かないような気もする。
 取材で越前海岸から佐渡を4日間旅しながら、自分は今、何が書きたいのか自問自答してみた。
 どう生きたいのか、何を犠牲にしないとそれは獲得できないのか。人間を理解することはどうしてこんなに難しいのか。
 解禁になったばかりのズワイ蟹をへし折り、むしやぶりつき、食い散らかしながら、脚本の法則なんかより、生きるための法則に早く到達したいと思った。
 最後に、このエッセイ出版に尽力戴いたキネマ旬報社出版事業部の掛尾良夫氏、富田利一氏、そして「シナリオ」誌連載時にお世話になった児玉勲氏に深く感謝します。

 12月18日、機能し始めた新しい仕事場で俺はまだ大丈夫だ、まだ自分を超えることができるのら、と呪文のように鼓舞する日に。

 野沢 尚

 ―完―

野沢尚著書より


2009-11-09 04:07  nice!(6)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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映画館に何故、愛着を感じなくなったか③ [「映画館に、日本映画があった頃」]

10/23よりつづき

映画館に何故、愛着を感じなくなったか ③

 では僕が説明する。どんな批詐家よりも的確にこの映画を捉えてみせよう。
『集団左遷』とはこういう映画だ。

 映画はまず、89年のバブル時代と94年現在との対比から始まる。
 主人公・滝川が西新宿を地上げ完了する。強欲なラーメン屋夫婦を尻目に外に出てきた滝川は、ラーメン屋の息子が隣の空き地で丸焼けになったねずみを見ドろし、呟く言葉を聞く。
 ネズミは増えすぎると自殺する。誰が決めるのか生きる奴と死ぬ奴を。
 童話『ハメルーンの笛吹き』から発想された台詞である。これは後に、滝川の上司・篠田が特販部に演説する時にリフレインされる。脚本では、この台詞を篠田の口から聞いた時、5年前の少年の言葉が滝川の脳裏に蘇るというリアクションを求めたが、映画では押してくれなかった。
 何故だろう。
 さて、5年後の滝川は怠惰な日常を送っていて、会社のリストラ要員の1人にされている。滝川を含めて100名が合理化目標で、副社長の横山は、人事部長のままならぬリストラ作戦に見切りをつけ、陣頭指揮に立つ。
「会社を潰すかお前がやめるかどっちかだ!」
と吠えたところでメインタイトル。レゲエがアレンジされたアッブテンポの音楽に乗せられ、出だしは快調だ。
 横山は親会社の銀行からリストラ専門の弁護士を雇う。これは原作にはない展開だ。
 女弁護士の冷徹な口調が役員たちに危機感を募らせるわけだが、映画では数字の説明がやけに多く、リストラをしなかった場合にどんな状況が会社を襲うのか、という具体的未来図を説明しない。同じ説明なら、数字ではなく、勤労意欲の欠如した社員ばかりになる企業の末路、といったものを冷たく語る方が説得力があるんじやないだろうか。
 横山と女弁護士が考えたリストラは、首都圏特販部なるものを設立し、達成不可能な販売目標を与え、その不達成を盾に100名を解雇に追い込む、という姑息なものである。
 その本部長に横山が指名したのが、以前、会社上層部に建白書を書き、横山を糾弾しようとしたかつての部下・篠田である。
 報復人事に他ならない。横山はサディスティックに篠田をいたぶり、会社を追い出そうとしている。
 無能な社員ばかり集まった特販部の中て篠田が頼りにするのは、かつて他の不動産会社から引き技いた滝川である。本部長就任にまだ迷いがある篠田は、「お前が決めてくれ」と言ってヘリの中で滝川に辞表を託す。滝川は辞表を破く。退くも地獄、進むも地獄であっても一緒に頑張りましょう、という意味だ。
 ここは僕の脚本と逆の表現になっている。
 集められた部員たちに痛ましさを感じ、篠田は本部長ポストを決意し、滝川の前で辞表を破いて「お前が必要なんだ」と言う・・・・・というのが脚本である。現場がこの形を取らなかったのは、役者からの注文による改変だったからだそうだが、俳優行政に左右され、映画全体における主人公・滝川のキャラクター計算を誤っていると僕は思う。
早い話、篠田と滝川はかなり早い段階から、『荒野の七人』のユル・ビリンナーとスティーブ・マックイーンになっている。リーダーと参謀格。確かに娯楽映画としては分かりやすいが、主人公のビルディング・ストーリーとして物語を捉えた時、前半で篠田と滝川にガッチリ握手させるのは得策ではない。
 僕のキャラクター計算はこうだった。
 滝川は特販部にやってきた。しかしそこでも滝川は相変わらず異端児である。「こうなったらホコ天でチンドン屋をして物件を売りますか」と提案するような奴である。家庭崩壊者で金にも困っているチャランポランな男。しかしそんな男が、住宅雑誌に左遷集団の実態を結果的に告発することになり、会社は大騒ぎになるがその自虐的記事が逆に幸いして特販部が持ち直す・・・・・といった修羅場に身を置くことによって、だんだんと変化する。
 滝川のキャラクターが成長するのは、自分たちの命とも言える建売住宅が焼け、篠田が倒れ、「あとはお前にまかせる」と特販部を託された時である。
 それまでサラリーマンの精神論に背を向けていた男が、窮地に立ってはじめて、城南電気の社長に土下座し、「私達に仕事をさせ下さい!」と涙目で懇願する。その姿こそ感動的なはずだ。
 主人公の成長物語をこうした流れの中で表現することが僕の狙いだった。
 東映の映画というのは、えてして細かい人物計算をしない。極めて大雑把に捉え、荒っぽい作りで観客を乗せようとする。現場は、リーダーと参謀恪を画面の中央に立たせてしまうことで、娯楽映画として最も単純な形を選んだ。
 さて、映画が半分ほど過ぎた頃、僕が最も嫌悪するシーンが登場する。撮影台本でも太く赤線を引いた箇所。『ここは野沢が書いたシーンではありません』と字幕をいれてほしいと思う。
 例の5時まで男・柳町が「どうしてあんただけ5時に帰るのか」と同僚から吊るし上げられる。彼は家庭の事情を語らない。するとヒロイン春子がおもしろに「柳町さんは自分のために帰るんじゃないんです。奥さんが末期癌なんです!」と、柳町を救うために叫ぶのだ。
 撮影台本で読んだ時、のけぞった。
 柳町の妻は、自分が癌だということを知らない。特販部員から周りまわって柳町の妻の耳に入ったとしたら、春子は一体どう責任をとるつもりなんごろう。癌の告知というものを、この女はどう考えているんだろう。
 僕は柳町が同じような異端児的キャラクターの連体感から、滝川だけに妻の病気を教えると言うシーンを書いたのだが、撮影台本におけるこの信じられない改悪で、「ここごけは何とかしてもらわなきゃ困る」と筆頭プロデューサーに詰め寄った。柳町が同僚に妻の癌を打ち明けるというシーンに抵抗があるなら、誰にも言わず、柳町は自分の中で解決すればいいのではないかと提察した。妻の癌を知っているのは観客だけ。奮起する柳町の内面は観客だけが理解すればよい。これが最高の解決策だった。筆頭ブロデューサーも納得した。ところが監督が春子の「奥さんは癌なんです」発言にこだわった。監督には監督の計算があると言う。春子の見せ場を作りたい、というのが理由で、筆頭ブロデューサーは監督を説得できなかった。
 あげくがこの有り様である。
 一体どんな演出の計算なのか。大勢の前であんな無責任な発言をする女が、どうヒロインとして成り立つというのか。逆じゃないか。こんな軽はずみな女にヒロインとしてどう愛情を持てというのか。
 この辺りの展開から、映画の中盤は稚拙な構成になってゆく。
 特販部員に造反者が出るが、一方では特販部の物件がいくつか売れて一喜一憂、やがて滝川ラインによる住宅雑誌の記事が出て大騒ぎになり、柳町の虎の子の仕事は妨害され、副社長に詰め寄って妻のことを吐露する・・・・・・といった素人の脚本のようなブツ切れの構成になる。
 僕は『集団左遷』という素材を受け取った時、この物語は一種の密室劇だと理解した。会社内抗争を劇的に見せるためには、なるべく1つのシチュエーションの中で事件が発生し、人物が翻弄されるという、言ってみれば演劇的な造りを取るべきだと思った。そのことは脚本打ち合わせの中でも散々言ってきた。だけど、こうして結果を見る限り、誰も僕の言ったことを理解してくれなかったようだ。
 造反者が出る。敵方に取り入ろうとする部員も現れる。特販部が悲愴な雰囲気の時に、追い打ちをかけるように、柳町の仕事が妨害工作にあった。副社長に詰め寄ると滝河の内部告発記事を逆に突きつけられ、形勢は逆転する。これが『集団左遷』という映画にふさわしい劇的構成なのである、絶対。
 おそらく東映の映画作りの前では「演劇的造りを」などと言ってもハナっから無駄なのだと思う。

 映画は滝川の曖昧なキャラクター描写と散発的なエビソードの羅列で終盤にくる。
 花沢部長のスパイ発覚、保身のための放火、建売社宅の炎上、滝川の奮起、有終の美。
 映画はクライマックスの会議室になる。
 目標額に達してないことを盾にどうにかして篠田たちを解雇に追い込もうといる横山に、味方であったはずの女弁護士が「宣伝予算なしでここまで売り上げを達成した首都圏特販部は存続に値する」と言い出し、これまで横山が顎で使っていたような社長も同調する。
 ノルウェーの漁師は、イワシの生簀にナマズを入れておくことで、イワシを長生きさせて港に持ちかえた・・・・・とい社長の話が、この会社における首都圏特販部の価値を物語る。そこで横山が立ち上がり、「お前ら、会社の傷を良っ直ぐ見たことがあるのか!」と、ダーティーワークで生きてきた男なりの叫びを上げる。ここの津川氏の芝居は毒々しく、それでいて説得力があり、見せる。
 ところが直後、緊張感はガタガタと崩れる。
 横山の言葉に反抗する形で、篠田が突如「俺たちみんなの血と汗がしみこんでいるのだ!」と彼らしくなく逆上し、春子が横山との関係を告白すると、滝川が「彼女だって自分をさらけ出して持販部を守ろうとしているだ!」と叫ぶ。みんなが主役になりたくて、この会議室のシーンで大見得を切ってしまうのだ。
『これは野沢が書いた台詞ではありません』とここでも字幕を入れて欲しかった。二流以下の脚本家が書く台詞だ。
 で、滝川が横山を殴る。
 僕はやっと理解した。
 これは、上司を殴ったらどんなにスカッとするだろう、という世の中のサラリーマンたちの劣情に訴える映画だったのだ。それが筆頭ブロデューサーが『集団左遷』で目指したルックだったに違いない。
 と思った矢先に、次に来るエピローグだ。
 現揚の脚本改訂作業の中で、このエピローグは唯一の成果である。
 横山は失脚しない。リストラ作戦指揮官として、親会社の銀行会長の手の内で転がされる。狂気の時代にふさわしい狂気のヒーローとして使われ、やがては使い捨てにされるという運分か待っている。横山自身もそれは感じとっていて、ある無常感を抱いている。
 横山の処理の仕方としては、最高の形どと思った。何なら『このンーンは野沢が書いたものではなく、現場の功績です』と字幕を入れてもらって構わない。
 ただ、この後味がザックリと観客の心に残らないのは、終盤に至るまでの稚拙な表現が災いしている。
 劣情に訴える単純明快な娯楽映画なのか、体制側の悲哀まで考えさせる上質な人間ドラマなのか、この映画はどっちつかづの印象を残す。しかし『集団左遷』という素材には、多くのミスを不思議と誤魔化してしまうような一本太い幹が通っている。
 逆境の男たちが体制側に挑み、勝利する・・・・・というストーリーの太い幹が、観客に、荒っぽいが最後まで見てみるか、という気にさせてしまう。
 僕がいろいろと言うほど、映画は失敗作ではないのかもしれない。しかし例えそうでも、僕がこの映画に愛着を持てないことには変わりはない。
 10月29日、前番組の成績不振から一週公開か繰り上がった初日、僕は劇場に行かなかった。
『ラストソング』の初日は、マリオンヘ行く足取りは弾んでいた。今日は仕事場で日本シリーズ第6戦を見ながら、この恨みがましい原稿を書いている。
 なんという違いだろう。

おわり
野沢尚著書より


このエッセイの①から③回までかなり感情的に書かれていますが、若かりし頃の出来事で、その後、野沢と東映の関係者とは誤解や感情的な部分は解消され、この作品以降も一緒にお仕事もさせていただいておりますので、この記事だけを読んで誤解されませんようにお願い致します。 映画に限らず、物作りの現場では、「いい作品を作りたい」というそれぞれの想いが強すぎてぶつかったり誤解したりといったことはよくあることだと思います。 それぞれのパートで、それぞれ自分の仕事にプライドと自信を持っているということだし、作品を思っているということだと思います。 映画やドラマを見ている側の私たちにも、物作りの裏側ではこんなにぶつかり合いながら一生懸命作っているんだということが分かっていただけたらと思います。


2009-10-27 18:17  nice!(3)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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映画館に何故、愛着を感じなくなったか ② [「映画館に、日本映画があった頃」]

10/20よりつづき

映画館に何故、愛着を感じなくなったか ②

 決定稿は時間的に長い。しかも津川氏はまだ納得していない。だから撮影台本という形で、現場サイドでホンを直させてもらう。筆頭プロデューサーの申し出を、いくら疲れきっていたとはいえ「好きにして下さい」と簡単に受け入れたことが最大の誤りだった。最後の最後まで現場に張りつく形で抵抗を重ねるべきだったのだ。
 すでにクランクインしている8月4日、撮影台本を受け取った。
 時間的制約からシーンを削ること、津川氏の要求を飲んでエンディングの形に手を入れること、改訂ポイントはこの2点だけだと思っていたら、違った。
 一度読んで、頭に血が昇った。クレームをつけるならばもう一度ちゃんと読んでからにしようと思い、3日寝かせてから再読した。
 二度読んでも三度読んでも、このホンで作られる映画に脚本クレジットされるのはたまらないと思った。
 撮影所の佐藤プロデューサーに電話して、ホンについていいたいことがあるので筆頭プロデューサーにも同席してほしい、と申し入れた。
 向こうもそれを望んだ。撮影台本はさらに更に現場で直しが加えられている、日々ホンと格闘している、なんとか力になってほしい、と佐藤ブロデューサーは言う。
 僕は撮影所に乗り込む前に、問題だと思う台詞に赤線を引く。それは屈折した歓びだった。ホン作りの時は僕の原偏にイヤッてほど線を引かれた。今度は俺が線を引く番だ。 そんな下らない快感に震えていた。
 一言で言えば、、その台本は甘い精神論で締め括られていた。苦境に対して奮闘努力する人間たちを、これほど稚拙な表現はないと思える台詞で単純に描いていた。
 もし筆頭プロデューサーと再び戦いになったら、もしこちらの意見が通らなかったら・・・・・そういう場面も先読みして、僕は最後通告を用意した。
 「分かりました。このホンでどうしても作ると言うなら、脚本クレジットをこうしてドさい」と啖呵を切るため、撮影台本の最後のメモ欄にこう書いておいた。
 『脚本・野沢尚/潤色・株式会社東映』
 脚本は確かに書いた。それを改悪した責任は筆頭プロデューサーを抱える東映にある、という言外の主張である。
 8月17日、撮影所に乗り込んだ。
 ところが戦闘意欲は肩すかしとなった。筆頭ブロデューサーも、こちらの意見1つ1つに納得し、善処することを約束してくれた。
 一矢むくいた、この映画は決して悪い万向には向かわないと実感し、やっと重い荷物を下ろした気分で大泉を後にした。
 ところが、荷物は下りていなかったのだ。
 10月13日、丸の内の東映本社試写室で初号プリント見た。
 「頼む、頼むから最後まで持ちこたえてくれ」
と祈りながら見続けた結果・・・・痛感する羽目になった。
 事前にラッシュを見ておくべきだった。その段階で怒り、あのクレジット案を差し出して啖呵を切るべきだった。
 裏切られた。誰にもそういう悪意はなかったにせよ、結果的に、僕は騙された。撮影台本への異義申し立てによって改浪された部分はほんの僅かだった。
 責めるべきはあの筆頭プロデューサーでもなければ、監督でもない。疲れ切って、脚本という仕事に絶望しきる暇があったら、ちゃんと最後までフィルムをチエックし、現場のヒンシュクを買おうが自分の身を守るべきだったのだ、俺は。
 こういう苦渋を舐めるのは何度目だろうか。
 いつになったら俺は懲りるのか。
 実は、初号を見た直後はさほど悪い印象はなかった。もっと悪い形を想像していたせいだろうか、試写後、佐藤プロデューサーと野村ブロデューサーと話した時、正直に感想を伝えたものの、激烈な調子ではなかった。しかしお2人の苦労をねぎらって別れ、宵闇の丸の内を1人歩きながら、自分に対してむしょうに腹が立ってきた。
 違うだろ。もっと言いたいことかあったはずだろ。どこまで人がいいんだお前は。今からでもタイトルクレジットの部分をブリントし直して欲しい、何故そう言えなかったんだ。苦労をねぎらったりするな。彼らの苦労なんて知ったこっちやない。肝心なところで怒れないお前に、そもそも脚本家を続ける資格なんかないんだ。
 これじゃ永遠に、本物の脚本家にも、本物の小説家にもなれっこない。薄ぼんやりとしたポリシーを抱えたまま右往左往するだけの、ただの作家もどきだ。
 死んじまえ。
 その夜はドン底だった。

 筆頭プロデューサーは決定稿が出来上がった時、言った。それ以後も何度となく開かされた台詞である。
 「この脚本は野沢ドラマとしては成立している。しかしこのままでは映画にできない」
 野沢の語り口や、テンボ感や、原作にはない発想・・・・・そこまでは生かしてやったが、細部で食い違っている。台詞の1つ1つ、ト書きの1つ1つに、見え隠れ『野沢らしさ』が邪魔でしょうがない。
 僕の文章に引かれた線の数々は、彼が「うるさい、黙れ」と言っているように見えた。
 この勝負はどちらが勝ったんだろう。筆頭ブロデューサーは、僕の『土台となるホン』をベースに、撮影台本という段階で思い通りの改訂作業ができたことで辛勝したのかもしれない。
 初号から1週間後の完成披露試写会。舞台挨拶に立った監督は言った。ホンには度重なる現場直しがあり、毎日の改訂作業で苦労した筆頭プロデューサーが功労者である、という意味のことを。
 そういうコメントを聞かされる脚本家の気持ちを、監督は知っていただろうか。ホンが現場で直さなければならないほど問題があった。百歩譲って揚揚直しが改悪でなく改善だったとしても、800人の前で脚本家に聞かせる言葉だろうか。
 ともあれ、筆頭プロデューサーぱ今、どんな感慨でこの仕事を総括しているのだろう。先月号でコメントしてほしかった。しかし書いてくれなかった。どうして何も言ってはくれないのだろう。

 では僕が説明する。どんな批詐家よりも的確にこの映画を捉えてみせよう。
 『集団左遷』とはこういう映画だ。

つづく 


2009-10-23 21:34  nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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映画館に何故、愛着を感じなくなったか① [「映画館に、日本映画があった頃」]

長文なので、分割掲載いたします。

映画館に何故、愛着を感じなくなったか ①

 今年の1月末だった。
『さらば愛しのやくざ』『赤と黒の熱情』で一緒に仕事をし、東映の映画作りの楽しさを教えてくれた東京撮影所の佐藤プロデューサーから電話をもらった。
 仕事のオファーだった。『赤と黒』の興行的失敗以来、東映で仕事ができなくなって2年、やっと出番が巡ってきたか、という思いで企画の内容を聞いた。
 企業モノであるという。左遷されたサラリーマンたちが会社上層部の姑息なぃ首切り作戦に対抗して自分たちの隠された力を発揮してゆく物語であるという。
 それだけ聞けば充分だった。やってみよう。今、東映がやらなければならない映画だと思った。
やくざ映画撤退。次の鉱脈をサラリーマンの闘争物語に求めたのは大正解だ。
 僕自身も、『課長島耕作』でやり残したこと、あの映画では置き忘れていたリアリズムを形にするイイ機会だった。
 原作があった。が、その小説は『さらば』の時と同様、映画にするには大きく膨らませなくてはならないと言う。
 翌日、渋谷火急インのティールームで佐藤氏から原作を受け取った。
 スケジュールは夏撮影、今年度の最終番組であるという。時間はあるようでない。その頃の僕はフジの『この愛に生きて』を夏まで書くタイムテーブルに突入していた。この仕事を受けるとしたら、脚本作りは連ドラが一段落つく6月まで侍ってもらわなくてはならないことを説明した。
 そして僕は質問する。
 「東映の起死回生の勝負作である企業モノを、何故僕に書かせるのですか。何故『社葬』の脚本家ではないのですか?」
 佐藤氏は一瞬、虚を突かれたようだった。
 野沢のイキのよさに期待した。そんな返事だったように思う。おそらくこの企画が社内で通るまで「誰にホンを書かせる、やはりあのベテランではないか、野沢? あんな若造に勤まるのか」といった議論があったに違いないが、後に企画者のクレジットに入る筆頭ブロデューサーも、僕の作品をどれだけ見ているか知らないけれど僕で納得し、社内のコンセンサスもすでに取れているようだった。
 2月3目、原作を読んだ結果、東映に「やります」と正式に回答する。
 それからホン作りに入るまでカタルシスのない原作の流れにどんな映画的スケールを与えるか、主演予定の柴田恭平が演ずるのは原作においては脇役の人物だが、それをいかに主役的立場に引き上げるか・・・・・・筆頭プロデューサーと監督、佐藤プロデューサー、若手の野村プロデューサー、との5人のチームで知恵を絞ることになる。
 そして取材と、山と積まれた資料の読破。
 構成段階までに、いくつかの問題点を処理できた。クライマックスには火事を設定する僕のアイディアで筆頭プロデューサーも「やっと見えた」と言った。
 炎上シーンのスペクタクルで映画的スケールになる、という意味ではない。不動産会社のサラリーマンが追い詰められ、やがて保身のために、自分の売り物にまで火をつけてしまうという自殺も同然の行為。そこに意味があった。
 フジの連ドラ最終回のホンを上げて、本格的に『集団左遷』に取り掛かる。5月30日に書き始め、6月4日に一応脱稿、読み直し書き込みを入れ、6月10日に東映に渡す。
 次回の打ち合わせは15日。毎度のことながら、こういう5日間が辛い。どんな反応が返ってくるのかと思うと、ドラマの打ち上げも心から楽しめない。
 さて15日を迎える。ここから1ヶ月に及ぶ筆頭ブロデューサーとの戦争が始まった。まさかあんな神経戦と消耗戦に突入するとは、常に悲観的に物事を考える僕でも、6月15日、大泉に向かう西武線の中では夢にも思わなかった。
 筆頭プロデューサーは第一稿に満足しなかった。そもそも彼はこの映画の企画者として重圧を抱えていた。東映の起死回生作であり、東映のトップや営業サイド、宣伝サイド、多くの意見者を抱え、誰にも文句を言わせない脚本を最初に提示しなければ企画自体がとんでもないことに陥ると危機感を持っていた。
 それほどこの企画は、東映内部で議論白熱する素材だった。リストラの波に喘ぐ企業。それはすなわち現在の東映の姿であり、もっと言えば、日本映画界そのものであった。『集団左遷』について誰もが何か意見を言いたくてしょうがない。自分の社内的立場を映画に反映させてほしいとも願う。
 去る4月の時点で、この仕事はおそらく多くのストレスを抱え、難産となるに違いないという予備知識を僕に与えた筆頭プロデューサー自身も、撮影所経営陣の一人として組合との攻防戦に身を置く日々で、映画の登場人物に対する思い入れは激しかった。
 東映本社のそこかしこで待ち構えている意見者たちに何も言わせないためには、岡田会長を最初の印刷台本で納得させるしか突破口はない。岡田会長が頷けば水戸黄門の印籠となる。そこに辿り着くまでが脚本作り・前半戦の関門だった。
 延々続いた筆頭プロデューサーと僕との争点は、人間のリアリズムとエンディングの形、の2点に要約される。
 野沢の野沢らしさの所以とも言える人物の劇的スタイルを、筆頭ブロデューサーは面白いと感じなかった。例えばこんなシーンがある。
 左遷集団の一人に、5時になると残業を放って帰宅する男がいる。彼には実は末期癌の妻がいた。妻は昔の恋人である商社の総務部長に頭を下げ、夫の仕事に協力した。『5時まで男』の亭主は、後に仕事を妨害した仇役の副社長に、この仕事は女房と二人三脚で取ってきたのだと滔々と語り、総務部長はかつてのだの恋人だった、ということまで皆の前でさらけ出す。
 筆頭ブロデューサーはこのシーンを削ろうとした。僕は抵抗した。物語の脇役であろうと、こだわりたかった人物の劇的スタイルだった。僕は銀座収急ホテルのラウンジで「どうしてこのシーンを面白いと感じられないのか!」と怒鳴ったりした。夜中の2時。疲労もピークにきていて神経はささくれ立っていた。
 このシーンは生きた。完成映画にもあった。いいシーンに仕上がっていたと思う。
 僕は他の論点でも、もっと怒鳴るべきだったのかもしれない。暴力沙汰にもなりかねないテンションで、数々のシーンを通すべきだったかもしれない。
 筆頭プロデューサーと対立する時、彼には決まり文句かある。「野沢さんは就職したこともないし、サラリーマン世界を身をもって実感していない。私達は組織の中で様々な軋轢を体験している」 だから僕が書いてくるサラリーマンの台詞回し1つ1つがリアルではないと感じた。直してほしいと注文した。
 僕はそういう点では意地を張らなかった。サラリーマン世界の苦しみを味わっている筆頭プロデューサーからなるべく多くを吸収し、台詞を練り上げてゆくだけの謙虚さは持ち合わせていた。
 それは僕の、作家としての『育ち』からくる性質だった。23歳の時に30代の男女の情念のドラマでデビューした。ディレクターの人間観、女性観を吸い取り紙のように吸収しなければ書けないドラマだった。いいドラマを書くにはどれだけ周りの人間から『人生』を盗むかにかかっている。
 監督が進むべき進路を与えてくれて、監督の人間観察を理解することによって、薄ぼんやりとしていたポリシーがはじめて形になってくる。これが僕にとっては重要な物作りの方法論だった。
 だから筆頭プロデューサーの意見にはギリギリまて譲歩してきた。1つ1つの譲歩に対し、1つ1つ丹念に検討して納得してきた。
 しかし今回の仕事に限っては、そうした僕の協調性ある創作姿勢が徹底的に災いしたといえる。
「私はサラリーマン社会の苦しみを身を持って感じている」と言って僕を説得してきた筆頭プロデューサーだったが、実は、この映画をどういうルック(外観)で観客に提示するかという方針が定まっていなかった。「この人の何かを吸収しよう」とペンを侍って待ち構えている僕に対して、彼はいつも首をひねり、自信がなさそうだった。僕はじれ、とにかく何か書いて(こういうところが僕の悪い癖なのだが)彼に示す。読んだ彼は「私の言いたいことはこういう事ではない」と却下する。それが度重なる。ルョクが定まっていない上に「違う、違う」と言い続ける筆頭ブロデューサーは、僕の目には『ないものねだり』をしているようにしか見えなかった。
 しかも、この人の「違う」という言い方が問題だった。
 6月17目、東銀座の熱海荘での打ち合わせ。彼は席につくなり、僕にコピー台本を渡した。もちろん僕の原稿だが、そこには書き込みがなされ、台詞やト書きを線で消し、新たな手描き原稿が大量に挟まっている。
 「まずこれを読んではしい。この通り直して欲しいという意味ではない。口で説明するより読んでもらう方が早いと思ったのだ」と説明した。
 判ってもらえるだろうか、こういう時の気分を。
 別の誰かが書いた原稿を渡される脚本家の気分を。
 この世界では10年選手の若造であるが、様々な仕事で様々なイヤな場面に遭遇してきた。無能な人間たちに与えられた傷は数知れない。だから、そういった原稿を見せられる局面ではドス黒い強迫観念にかられてしまう。「俺はきっと下ろされるんだ。後釜のライターはすでに決まっているのだ」
 冷静に考えれば、そんな馬鹿なことがあるワケない。事実、「誰が書いたものですか、それは」と聞くと、筆頭プロデューサーの意見を受けて、熱心な助監督が書いたものだと言う。その差し込み原稿がよく出来ているとは、筆頭ブロデューサーは必ずしも思っていないが、会議の叩き台として用意したと言う。
 しかしだ。
 文章を書いて生きている人間に対して文章を見せるなら、大いなる覚悟を持ってほしいのだ。作家の文章に綿を引く以上、「この通り直してほしいという意味ではない」などとエクスキューズをして欲しくない。
 僕はそう詰め奇った。
 彼はいくらか申し訳ないと思ったようだが、じかに文章を書き込んで打ち合わせするやり方は、結局最後まで続いた。
 彼にも言い分はあるだろう。何より時間に追われていた。印刷にゴーサインを出せる脚本が出来ていない。とにかく効率的に事を進めたかった。しかし事情は理解できても、こういう原稿のキャチボールは生理的に耐えられなかった。
 僕はこの日以来、感情的にならざるをえなかった。
 そして本誌10月号で書いたことに繋がる。脚本とはイイ文章など必要としない。現場に入ればどんな風にでも直せる。それが分かっていながら、脚本作業で文章にこだわることは、単なるエネルギーの浪費ではないのか。
 生活さえ許せば、もう脚本なんて書きたくない。
 と、打ちのめされる梅雨の日々だった。
 今日も送られてくる訂正原稿。僕は「もう限界だ、もう降りよう」と思う。
 打ち合わせ場に行き、その意志を伝えようとするのだが、ふと気付いてしまう。
 筆頭プロデューサーは必死だった。心死にこの映画を成功に導きたいと思っている。その熱烈さには正直、心を打たれてしまった。よし、あと一度だけ。あと一度だけ頑張ってみよう。殊勝にもそんな気分になってしまう自分に嫌気が差しながら、午前3時に帰宅する。
 印刷台本に対する岡出会長の評価は、こちらが予想していたほど悪いものではなかった。
 ところが次の難問は、津川雅彦氏だった。津川氏は、この仇役のキャラクターでは、出たくないと言ってきた。津川氏なくしてはこの企画は成立しないと考える東映は、彼が納得するホンをどうしても作らなければならなかった。
 最大の問題はラスト。この仇役の失脚の仕方である。それは観客に与えるカタルシスと切っても切り離せない問題である。サラリーマンに勇気を与える映画としては勧善徴開く悪だろうが、悪役は鮮やかに切り捨てたい。ところが単に切り捨てるだけで津川氏は納得しない。
 この問題は、完成した映画を見ると、意外にも上質な形で解決している。その点については後述するが、決定稿作業の段階では解決策が見い出せず、筆頭プロデューサーは僕の書いてくるシーンや、彼自身が書いたシーンに「イメージはこれに近いが、こうではない……」と首をかしげる毎日だった。彼の苦悩に僕も飲み込まれ、酸欠状態だった。
 敵役は破滅を前にして、リストラについての大演説をブツ。この激しい芝居場さえあれば映画は乗り切れる、というのが僕の変わらない主張だった。しかし筆頭プロデューサーは「何か足りない」と感じる。柴田恭平が津川雅彦を殴るシーンで終わりたいと言い出す。
 僕は溜め息をつきながら、その暴力行為がいかにも取ってつけたような終わり方にならないように書いてみる。
 「ウム・・・・こういうことかな。ま、今の段階はこの形でいいか」 
と、筆頭プロデューサーは暫定的なOKサインを下す。
 僕は早くこの什事から開放してほしかった。怒りを通り越して疲弊しきって、堪え性もなくなっ
ていた。
7月17日、最終原稿を渡した。「終わった!」と仕事場で狂喜した。
愚かだった。何も終わっちやいなかったのだ。終わり方を完全に誤っていた。


つづく


2009-10-20 21:26  nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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映画館は、次第にインナートリップヘ [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館は、次第にインナートリップヘ

 それは15年前、日大芸術学部映画学科の入試を受け、合格発表を数日後に控えた3月だったと記憶する。
 名古屋・東別院の貸しホールヘ、石井聰亙監督の自主映画上映会に出掛けた。
 『高校大パニック』と「突撃!博多愚連隊』の2本立てと石井監督を招いてのフリートーキングだった。
 当時、映画監督を志す若者にとっては、石井聰亙といえば燦然と輝くスタアだった。前年の夏、石井監督は日活で自作の『高校大パニック』を35ミリでリメイクした。それが御本人にとっては不本意な共同監督作品だったとしても、学園を駆け技けるライフル少年の熱気と疾走感は僕を虜にし、大学生ながら商業映画に進出した石井監督の快挙は偉大なサクセス・ストーリーだった。
 1週間後、大学に合格していたら、僕はあなたの後輩になるんです。名古屋にやって来た監督にそう呼び掛けたい気持をグッと腹におさめ、僕は8ミリの二本立てを見ていた。
 時は自主映画ブーム最盛期。日芸に入れば映画監督になれると僕らは本気で思っていた。
 そして合格した。全国から同じ映画監督志望の連中が江古田に集まってきた。
 映画学科4階の編集フロアを覗けば、学食でどんぶり飯と卵だけを買ってきて、黄色い飯をかき込みながら16ミリフィルムをカッティングしている先輩たちがいた。
 翌年、石井監督は大学の卒業制作でもある『狂い咲きサンダーロード』で商業映画に返り咲き、何と「キネマ旬報」第9位に入賞した。石井監督に追いつけ追い越せが、20歳の僕らにとって合言葉だったように思う。
 僕も20歳の冬、1時間50分の8ミリ映画を作った。「ぴあ」のコンクールに出したが一次選考も通らなかった。卒業制作では16ミリ・カラーの長編ホラー映画を撮った。学内では賞に輝くことはできたが、映画監督にはどうやらなれそうになかった。才能や運といったこと以前に、僕には集団を束ねてゆくカリスマ性に欠けていた。そういう自分の性格的欠陥に嫌気が差しながら、脚本家になろうと日々ペラを埋める貧しくて暗い青年だった。
 で、大学を卒業した2年後にテレビドラマと映画で同時デビューできた。こんな性格だけども脚本家には向いていたようだ。運も味方した。テレビでは鶴橋康夫氏、映画では奥山和由氏、このお2人と出会ってなかったら、今の僕は存在しない。
 一方、同じ84年に『逆噴射家族』を撮った石井監督であったが、以後10年、劇場用新作が撮れなかった。
 10年、石井監督にはどんな苦悩や焦りや絶望があったのだろうか。
 そして待望の新作『エンジェル・ダスト』である。
 9月29日、新居引っ越しと大型台風襲来が翌日重なる気配で身辺はワサワサと落ち着かなかったが、渋谷スペイン坂を上り、シネマライズをくぐった。

 山の手線夕方6時のラッシュアワーに、若い女ばかりを狙った連続殺人事件が起きる。そして登場するのは異常犯罪性格分析官のヒロインである。
 事件の裏にあるのは新興宗教のマインド・コントロールと、信者の家族が娘を取り戻すために依頼した逆洗脳士の存在だった。ヒロインと逆洗脳士はかつて恋人同士。両者の心理戦が開始される。
 前半1時間は滅法面白い。宵闇の中を、地をのたうつ毒蛇のように山の手線が走り、都市空間の盲点を突くような殺人が起こる。
 被害者の死体と向き合って、その最期の瞬間に感じた痛みと同化しようとするヒロイン。
 刑事や事件関係者に、無名ながら、いかにも『いそう』な俳優を配し、物語は極めて冷たい質感の映像を次々に繰り出してくる。都市の切り取り方は見事である。音の1つ1つにも配慮が行き届いている。電車が擦れ違う音だけでも怖いのだ。
 低予算の映画だろう。
 だけど『豊か』なのだ。厳しい制約の中で細心の工夫によって未来を切り開いてきた日本人の美徳が、この映画のスタッフにも息づいているかのようだ。
 映画が傑作になり損ねたのは、ひとえにヒロインのキャラクター設定による。
 監督の意図は知らないが、僕がこの映画を見始めて1時間たった時の期待は、マインド・コントロールと逆洗脳のサイコ・バトルという、現代を表現するテーマとしてはこれほど素晴らしいものはないと思わせてくれた着眼点の、終盤においての結実だった。
 しかしテーマは未消化のまま終わる。この映画の案内役であるヒロインが、僕たち観客を置いてけぼりにして、勝手に先へ先へと歩いていってしまう。
 彼女は実は重く暗いものを抱えていた。夫は両性具有者だった。そうと知ってて結婚したし、精神的セックスで絆を保ってきた。
 が、こうしてヒロインのキャラクターが判明した時、観客の僕は「彼女にはもう付いていけそうにない」と感じた。
 精神世界の暗渠に導いてくれる案内人は、僕らと同様に、その世界の深みに心底恐れてほしかった。
 トップシーンて夫と富士山の風穴を探検するヒロインの姿がある。地底の暗闇で夫とはぐれ、ヒロインは恐怖にかられる。最後までそういう人物でいて欲しかった。勝手にインナートリップしてもらっては困る。
 つまり、特殊な世界で苦しんでいたのは、所詮、特殊な人間だったという訳だ。
 しかも映像はきわめて無機質でポップ。マインド・コントロールと逆洗脳、この瞠目すべきテーマをとことん掘り下げ、剥き出しにしてはくれない。
 逆洗脳士がマインド・コントロールされた1人の女性を棙じ伏せてゆくプロセスをかなり丹念に積み重ねているが、ちっとも怖くなく、ひたすら退屈だった。あのシーンでは、「これ、まさかドキュメンタリーではないか」というものを見せて欲しかった。ビデオ映像を拡大してザラザラさせれば本物に見えるということではない。肝心なところで、作り手は物語のリアリティと格闘していない。
 こんな感想を聞いて、石井監督は「お前らバカか」と思うだろうか。
 この精神世界の遊園地で遊べない僕らを「ならシネマライズなんか来るな」と突き放すだろうか。
 ヒロインの夫が死んだ。演ずるは今最も旬な俳優の豊川悦司である。検死官が股の間を覗きこみ「アレ?」となる。両方の性器を見て、彼が両性具有者で、しかも男性側を去勢していたと分かる。
 僕らは驚く。もっと意味を知りたい。しかし作り手は知らせてくれない。
 批評家は言う。『その唐突さと与えられる情報量の少なさとが彼の異様さを更に強めている……』
こんな風に好意的に感じてくれる観客が、渋谷スベイン坂には沢山いるのだろうか。
 石井監督が10年振りに新作を撮った。ファンが暖かく迎えようとする気持ちは分かる。僕だってできれば拍手したい。だけど批評家の行き過ぎた善意は創作者を殺しはしないか?
 たとえそれが『ヨイショ』用のパンフレットの文章だったとしても。
 同じ創作者の目から見ると、去勢した両性具有者というモチーフは、この映画においては単なる『散らかり』としか見えない。豊川悦司がヒロインのために甲斐甲斐しく夕食を作って待っているシーンが、『妻になろうとした両性具有者』を描くための伏線だったとしても。
 このテーマで多くの観客の気持ちを摑んで欲しかった。
 このテーマで賞も沢山取って欲しかった。
 発見した鉱脈に溺れ、作り手が勝子にインナートリップしてはいけなかった。作り手は努めて冷静に、観官に対して謙虚に、それでいて虎の子のテーマに向かって闘志を燃やさなくてはいけなかった。
 今回、結実はしなかった。だけど可能性は確かに感じた。この豊かな国にも世界に通用するテーマはある。
 僕もそろそろ元気にならなくては。

 さて、次回の連載最終回では、自作の『集団左遷』について書こうと思っている。
 僕がこの仕事について総括する前に、今月号の脚本掲載に寄せてもらう形で、共にホン作りで苦しんだ東映のプロデューサー諸氏にコメントをお願いしたのだが、誰一として書いてくれなかった。
 ならば僕が全て書く。最後のエッセイだ。徹底的に書いてやる。


野沢尚著書より


2009-10-13 14:52  nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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映画館に、5分の失望と5分の願望 [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館に、5分の失望と5分の願望

 小説450枚を書き上げ、これから身近の信頼できる読み手に渡し、感想を仰ごうとしている9月14目である。
 酷暑の季節もやっと終焉、秋雨が霧吹きのように灰色の空から舞い落ちている。志水辰夫の新作短編集にボロボロと泣き、4年前のミステリーベスト1作品の表現力に唸り、小説の世界には超えなきやいけない、この人を超えなきや活字の世界でメシなんか食えない、と焦燥感のように痛感させてくれる人が実に沢山いる。
 と先月に続いてジリジリするような襖悩を抱えつつ、新宿シネマアルゴに石井さんの新作『天使のはらわた・赤い閃光』を見にゆく。
 名美と村木の物語である。
 2人の世界については僕はそれほど詳しくはない。過去の作品群も見た上で感想を語るのが筋かもしれないが、独立した作品群として見させてもらった。
 これから書くことは映画の謎とき部分に触れるので先々、映画館やビデオで見ようと思っている人は、あとの文章を読まないことをお勧めする。
 映画はピンク色した肉の丘陵から始まる。ヒロインの唇である。以後、主演の川上麻衣子の白い肉感がこの映画を支配してゆく。それは圧倒的な官能美だった。男を肉で包みながら、果てようとする瞬間に拒絶するような狂おしい魅力に溢れている。
 触れてみたい。そう思わせてくれる肉体の力だった。
 映画は20代後半の、男のいない雑誌ライター・名美の何の変哲もない日常から始まり、村木の登場と呼応するように名美のトラウマヘと描写は踏み込んでゆく。
 高校生の頃、通りすがりの男に犯された。
 以来、彼女はセックス恐怖症となり、恋をして男とベッドを共にしても、クライマックスになると男に殴りかかるという暴力的な奇癖に悩まされる。
 回想で出てくる強姦魔がいかにも皮ジヤン風のアウトサイダーなのが興をそぐが、自分の暴力によってセックスを成立させられないというヒロイン名美のキヤラクターにはゾクゾクと期待を抱かせる。
 名美は行きつけのスナックのママに誘われ、レズ関係になったりするのだが、ある夜、泥酔した際に行きずりの男にホテルヘ連れ込まれて犯される。ところがブラックアウトの後、正気に返った名美は男の死体を部屋で見つける。あたしが殺したのかもしれないと恐怖する。何しろ自分にはイク瞬間に男に暴力を振るうという癖がある。
 スリリングな展開である。
 死体が残していったビデオを家に持ち帰っってみると、自分が男に犯されている様子が克明に記録されていた。名美は涙する。やはり自分か殺したに違いない。ビデオをとてもじゃないが最後まで見れなかった。
 さてこの辺りから、映画は重大な欠陥を徐々に露わにする。おそらくこの映画を見た誰もが簡単に指摘できるだろう。
 ネタ晴らしをすると、謎の犯人像はレズのママかもしれない、救いの手を差し延べた村木かもしれないという疑惑が名美の周辺で二転三転するが、結局、真犯人は名美自身だった。その殺人シーンがビデオの以後にちやんと映っていたというのが映画のオチである。
 ビデオの結末部分を名美は見ていない。この映画の作り手としては物語の中盤で、それを名美にも、観客にも見させる訳にはいかなかった。あえて核心部分を目に触れさせない説明として、ヒロインのトラウマを利用した。つまり、彼女はビデオに映った自分のレイプシーンを、あの過去が激痛のように蘇るため、最後まで見ることはできなかった、という訳だ。
 これはかなり苦しい。殺人犯の汚名を着せられそうな女が、その唯一の証拠品であるビデオを最後まで見ないで済ませることができるだろうか。
 最大の問題はラストである。
 事件の犯人はレズのママということで落ち着いた後、名美は村木と寝る。部屋に例のビデオが映っている。名美はイク瞬間、ベッドの下に手を伸ばす。
 そして向こうのビデオに名美の殺人が映され、次のシーンで名美は血まみれの体にシャワーを浴びている。村木を殺してしまったらしい。
 僕が問題だと思うのは、村木の扱いである。
 村木は中盤窮地に陥った名美と共にビデオを解析する。そこで名美以外にビデオに写っている第3の人物を発見した。証拠品のビデオは更なる解析とモミ消しのため、村木の手に託された。
 当然、村木はビデオの最後まで見たはずだ。名美がサイコ・キラーであることを知っているはずだ。
 それでも村木はラストで名美を抱いた。この女は殺人者だ。トラウマが癒されたかどうか分からない。イク瞬間に自分にナイフを突きたてるかもしれない。
 早い話、『氷の微笑』におけるマイケル・ダグラスである。あの絶倫男以上の恐怖を、この映画で描くことはできたはずだ。
 何故、映画は殺人者の女を抱こうとする村木の苦悩と純愛を描かないのだろうか。恐怖を超えても名美を抱き締めたい思いが村木にあったのだと思う。僕は過去の作品群には疎いけど、そこら辺の気持ちのアヤが名美と村木の物語におけるキモではないのだろうか。
 生と死が隣合わせのセックスを描かず、映画はB級スリラーサスペンスの枠内に収斂してしまった。
 エンディングの、川上麻衣子の白い肉体にベットリした血が縞模様になっている姿が夢に出てくるほどに怖いだけに、終盤の展開の甘さが悔しくてたまらない。
 前作『ヌードの夜』では、村木と亡霊の名美を哀しいネオン色の部屋で交歓させた。あのテンションからすると相当落ちていないか。
 邪推かもしれないが、クレジットタイトルの製作会社名を見ると、この映画はどうやらビデオ発売を前提に企画されたようだ。
 ビデオのレンタル層が、「映画芸術」が分析するように、仕事に疲れて帰ってきた後、AVと一緒に肩の凝らないビデオを借りてゆく独身サラリーマンなのだとしたら、この映画に求められたのは、裸とお手軽なサスペンスが同店するB級スリラーだったのかもしれない。
 そのために日本映画界の残り少ない財産の一つである『名美と村木』が持ち出されたのだとしたら、ちよっと悲しい。
 いや、そうは信じたくない。
 映画の後味が失望だったとしても、この監督に対しては強烈な願いがある。
 トラウマから開放されず、愛する男とのセックスの果てにどうしようもなく刃を握りしめてしまう名美を、もう一度スクリーンで見せてほしい。本当に見たい。すぐ見たい。

 シネマアルゴを出ると、宵闇の新宿は名美の汗ばんだ肉体のように濡れそぼり、ぬめっていた。
 もう誰も矢本沢ダムの貯水率について話題にしない。
 夏は完全に終わったのだ。


野沢尚著書より


2009-10-06 08:21  nice!(3)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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映画館に足が向かず、夏バテの頭で考えること [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館に足が向かず、夏バテの頭で考えること

 僕は周囲に対して、滅多に仕事についての弱音は吐かない人間なのだが。
 先月末に終わったある映画の仕事中、つい一言、洩らしてしまった。
「もう脚本の仕事をやめたい」
 半分は愚痴だったが、半分は本気だった。家人はその言葉を間いて以来一週間、「ねえ、あれ、本気じゃないよね?」と子供が寝静まる夜ともなると気にした。
 僕のドラマが主婦仲間の中でどれだけ話題になっているのか。僕が子守をしている間、少しお酒落して1人で見に行った自由が丘武蔵野館の「ラストソング」では、観官の若者がどんな感動ぶりだったのか、彼女は懸命に説明してくれる。
 それでも亭主は思い直してくれないようなのてやがて子供が寝静まっても話題にしなくなる。
ずっと好きなことをしてきた人間に周りが何を言っても無駄、と諦めたようだ。
  かわいそうなことをしてしまった。言うべきではなかった。

 その映画の仕事は思い出したくない仕事の部類には入るものの、最悪だった訳ではない。最悪な映画の仕事は僕の12本のキャリアの中で、他にある。

 今回の苦労は何だったのか。筆頭プロデューサーが抱えている人間のリアリズムと、僕が目指す劇的スタイルが噛み合わなかったことに尽きる。
 この仕事の総括については、11月の公開後に書こうと思っているけども、何もこの映画の仕事が辛くて脚本の仕事に絶望した訳ではない。以前から感じていた仕事への限界と疑問は、その度に何とか自分で誤魔化していたのだけれど、今回ばかりは誤魔化しきれず、直面しなければならなくなったという訳だ。
 僕が脚本という仕事に感じている醍醐昧とは、美しく巧みな物語を美しく巧みな文章に書き残すことだった。
 そこに実は問題点が潜んでいた。シナリオ作家志望の人はなかなかピンとこないかもしれないけど、脚本とは映像があってこそ完結し、映像化されない脚本は(作家志望者の習作は別として)単なる紙屑に過ぎない。様々な制約の元で映画化となり、プロデューサーや監督の信念や人間性も直しの会議で注入され、役者の台詞回しによって言葉に命が与えられ、編集段階で脚本執筆時には思いもしなかったモンタージュがされ、ト書きや台詞といった文字以上に効果的な音楽が加えられる。
こうして脚本という文字世界はようやく完結する。
 つまり脚本とは、自分以外の誰かの改変作業によって常にん左右されてしまう文筆作品なのである。
 こういう局面があった。
 撮影も間近に追っている決定稿作業である。この段階に来ると、監督やプロデューサーの生理感覚によって、「この言い回しを直せないか」という一言一句の戦いとなる。こちらにも台詞の美学があるから一言一句に抵抗する。戦いに疲れてくるとお互いに妥協点を見出そうとするのだが、そこで僕の頭がハタと我に返ったように、急に醒めてしまった。
 俺は一体何をこだわっているのだろう。ここで一言一句にこだわっても、彼らは現場に入れば成り行き上どうにでも直せるではないか。役者は役者の生理で喋るし、現場の制約を理由に、僕の美しく巧みな文章に線を引くことに何の痛痒も感じないだろう。
 それが分かつていながらこの決定稿作業で文章にこだわることは、単なるエネルギーの浪費ではないのか。
 これはスタッフヘの信用うんぬんとは別次元のことである。僕のこだわった一言一句を、このスタッフは必ず実現してくれるだろうと信頼できたとしても、現場では常に「何か」が起こるのである。

 脚本とは集団作業である。
 一言一句現場では直させないと仰る大作家も、どうあがこうが脚本家でいる限り、集団作業の中に位置づけられる。
 そこで感じる面白さとは、文章という平面世界が、優秀なスタッフによって映像という立体世界へ飛翔してゆく喜びである。
 キャリア10年、テレビと映画を合わせて数十本の脚本を書いてきて、確かにそういう歓喜が僕にも数多くあった。
 ところが、美しく朽みな文を書きたいと思う人間にとっては、仕事の果てにこの喜びがあったにしても、自分をどうしても誤魔化しきれないフツフツたる不満の火種が底に沈むことになる。
 極端に言えば、何より文章を書くことが大好きな人間は脚本家なんかになるべきではないのだ。

 僕の文章は多くの人々を触発させた。それは確かだと思う。
 特に新しい環境で仕事をする場合、スタッフに対して挑みかかるような文章がト書きに横溢する。
 フジテレビで初の連続ドラマをやることになった時、その第1回の脚本は信じられないくらい文章が埋まっていた。だが、その文章に苦労したディレクターも、僕のホンでは二度とやりたくないと愚痴ったりはしなかったように思う。僕は彼らを触発し、彼らは触発されて映像作りに闘志を燃やす。いい仕事だったと思える作品では、両者はそういう関係だった。
 ゴチャゴチャ言わないで、これだけで満足すべきなのだ、僕は。

 で、今僕は小説を書く。
 警察小説である。
 鮫島や合田以上のキャラクターを造形できるかどうか、どれどけ現代を撃てるかどうか、文章と格闘している。
 僕はこれを書きながら、大袈裟ではなく、曲りなりにも文章を書けるという才能を天から与えられたことに感謝した。これが唯一の取り柄なのだと思った。
 楽しい。興奮する。この文章は誰にも傷つけられない。この文章は読む人に無限の映像を与えられるのかもしれない。
 脚本のト書きでは必要なかった表現が小説世界では必要とされる。人間の内面描写に深く深く入ってゆくことを要求される。自分の語彙範囲の挟さを痛感させられ、勉強しなければと思う。3分の2を書いたところで小休止、高村薫の『照柿』を読んだら、途端に先が書けなくなってしまった。
 今書いている小説がどういう形で世に送り出されるのか、まだ決まっていない。
 こういう創作活動も、ちゃんと経済活動として成立するのなら……映画やテレビは僕の趣味のフィールドになって、映像にふさわしい素材があれば書けばいいし、修復困難な対立があればさっさと脚本を引き上げたっていいのかもしれない。
 その時は、このエッセイのコーナーも潔くやめよう。趣味で映画を書く者が、仕事で映画を書く人を批判してはならないと思うからだ。

 さて、今日も文章で踊る。
 午後5時には踊り疲れ、ソファベッドにぶっ倒れる。
 万物をくっきりと切り取る西日が眩しくて目を閉じると、睡魔が襲う。遅めの午睡から覚めると、西日は優しげな暖色に変っていた。
 自分はどこに辿り着くのかと一抹の不安を覚え、うっすら寒くなる時間である。


野沢尚著書より


2009-09-29 08:18  nice!(3)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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映画館にわりと似合うホームドラマ [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館にわりと似合うホームドラマ

 連続ドラマの放送が終了して1週間、構想から最終回脱稿までの半年間の仕事を振り返り、いささか余韻に浸っている。
 視聴率(という元々イイ加減な数字による評価)は最終回17.8%、あの状況下では合格ライン。なかなか中盤は数字が上がらずストレスに苛まれたプロデューサーも、これならば恥ずかしくない戦果だろう。
 今回ほど、反響の多かった仕事もなかった。
 毎回終わる度に熱烈なファンの方々から手紙を戴いた。返事を書けなかったことを、この場をお借りしてお詫びします。
 もちろん批判もあった。不倫して男を奪って結婚して、子供を産んだものの亭主に女扱いされずに本能のまま主婦売春に走るヒロインは、頭が空っぽで共感できない。こういう風な感想を寄せる人は、おそらく家庭生活における寂しさなどというものには無禄で、幸せな毎日を送ってらっしゃるのだろう。あのヒロインが抱えた悲哀を皮膚感覚で分からないと、こういう感想になってしまう。
 このドラマにはハードルが沢山ある。いくつものハードルが視聴者を振るい落とし、不遜な言い方をさせてもらえば、選ばれた者しか楽しめない仕掛けになった。
 河毛監督流に言うと「このドラマは会員制クラブ」ということだ。
 ついてこれない方は、ついてこなくて結構。
 ついてきてくれたら平均13%の人々には(×70万人と計算して910万人。本当なのだろうかこの数字は。やはり鵜呑みにはできない……)とにかくありがとう。
 当初は発売の話もあったシナリオ集が視聴率のせいで発売できなくなったのは残念だけど、再放送や、未公開シーンを足した11月のビデオ化の析りには、もう一度噛み締めてもらうとありがたい。中盤からサスペンス調になって戸惑った人も多かったようだけど、ちゃんと夫婦の物語に昇華していたと自信を持って言える。
 新作は1年後。その節はもう一度ハードルを越えてもらいたい。僕としては、次は人が死なない話にしようと思っているけど……
 で、ドラマの衣替え。
 7月開始の連続ドラマにはホームドラマが目立つ。4月期に我が軍が相手にした裏のドラマが予想道りの好成績を残したことを受けて、「大家族ドラマで数字を取れる!」という各局の読みである。

 時代はイージー・ウォッチング。
 何も与えず、平穏にドラマを見たい。仕事から疲れて帰ってきた上に、ハードルなんか越えたくないのだ。
 ホームドラマは映画の世界にもある。
 しかし映画という媒体では、平穏な家族状況をただ平穏には捉えない。
 ブラウン管と茶の間の距離感に負けないためには、切り口だ。
 『逆噴射家族」や『ひき逃げファミリー』のような破壊力や、切っ先の鋭さ。
 『本村家の人々』のようなブラックなヒネリ。『お引っ越し』のような繊細な美術工芸。
 テレビでは見れない映画館ならではのホームドラマ、という匂いを観客に感じさせないと、このジャンルは成功しない。
 渋谷エルミタージュ『毎日が夏休み』を見に訪れた観客は、どんな匂いに誘われたのだろうか。

 登校拒否の中学生と、出社拒否の父親が、社会常識とありふれた価値観に背を向け、軽やかに仕事人として独立する。
 娘は父親によって、子供としてではなく一個人として必要とされることの感動を知る。
 エリート独特の、人の痛みが分からない父親は、娘によって、人間を支配している『感情の濃さ』を知る。
 人間理解の物語を、この映画は教条的ではなく、夏草の上に広げられた童話のような語り口で描く。
 楽天的で清潔である。
 見終わった後の清涼感は、最近の日本映画では珍しい。
 観客が元気になって映画館を出てくれることを、作り手たちは何より析ったのだろう。
 僕も何となく元気になれた。
 僕にも、夏の日の満ち足りた暖かさが訪れそうな気がした。
 しかし新玉線で仕事場に戻れば、現実は容赦なくそこに横だわっていて、永遠に続く夏休みなどというものは、はかない夢であることを知る。
 あの映画のヒロインも、おそらく近い将来、夏の終わりを思い知らされるに違いない。
 世界は単純ではない。
 その残酷な暗喩までは、映画は描いていなかった。
 地面から5ミリほど浮いたようなエリート脱落組の父親を、佐野史郎はプラスチック的に表現しながらも、不思議と暖かな体温を感じさせた。
 しかし、彼は現状の何が耐えられなくて出社拒否したのだろう。
 中盤で出てくる元同僚たちが、主人公たちの激励パーティをしながらも、心の底では笑っている。
 娘の言葉を借りると、「お父さんはああいう人々と仕事をしたくなかった」ということらしいが、あの程度の連中に嫌気が差して脱サラしたんだとしたら、この父親はちょっと繊細すぎやしないか。
 映画がすでに出社拒否しているところから始まるのでそれまでこの父親が置かれていた状況が分かりにくくなっている。
 風吹ジュンの母親は、簡単には夫と娘のレールを外れた生き方に共感せず、最後まで俗物であり続けたのがイイ。
 僕のドラマでは、風吹サンは主婦売春をする女の役を微妙に湿度をこめて演じてくれた。
 後半、母親が売春をしていることを知った息子がホテルに訪ねてくる。そうとは知らない母親は、下着姿の痴態で息子を迎える。
 ドラマの本線とは無関係なエピソードだが、風吹ジュンさんが出演してくれると聞いた時に、どうしてもこの末路を演じてもらいたかった。女優へのラブレターである。打ちトげパーティで本人にそう言いたかったけど、恥ずかしくて言えなかった。
 『毎日が夏休み』に話を戻そう。
 娘役の新人は批評家がこぞって褒めちぎるほど僕は魅力を感じなかったが、学校を捨てて父親との仕事へ向かう跳躍感がすがすがしい。
 この役者3人の魅力と、映画全体に漂う楽天主義と、演出のフットワークが、さて、どれほどの観客を集めたのだろうか。
 上映館数と製作費に見合った動員が果たせたことを願っている。
 毒がなく、凄味もなく、目を覆いたくなるほどの崩壊も起きない。しかしこれは、あるセンスによって切り取られた、決して平凡ではない家庭劇である。
 そういう映画が今、本当に商品として成立するのかどうか、とても興味がある。
 この頃、日本映画を見る時に、こういう余計な心配をしてしまう。
 アニメが稼いでいるうちに、何とか新しい芽を、慌てずに、慎重に、確実に、育ててほしいと思うのだ。
 テレビドラマの家庭劇は相変わらずで希望もないし、期待もない。飽きられるまで早くやり尽くしてほしいとさえ思う。
 映画にホームドラマの芽があり、一挙に小津世界まで戻れるのだとしたら……嬉しいのだが。


野沢尚著書より


2009-09-24 08:05  nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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映画館はまだ遠い・・・③ [「映画館に、日本映画があった頃」]

6月22日のつづき
(※「映画館はまだ遠い」の章は長いので分割掲載とさせていただきます)

映画館はまだ遠い・・・③

 奥山バージョンと黛バージョンの違いは、作家という人種の捉え方だと思う。
 江戸川乱歩という人物を、奥山氏はかなり激烈に捉えている。脳細胞の爆死まで映像で描こうとしている点からも明らかで『非現実の世界を持つことでかろうじて現実世界で生きられる人間』というのが作家の定義だとしたら、後半は精神異常者に近い。
 作家の内面というのはこんなにエキセントリックなんだろうか……と、同じ作家として僕はやや首をかしげる。特殊な人間の特殊な精神構造を、奥山氏はこれでもかこれでもかという映像の連発で、極めて破壊的に描いた。
 そのイメージ先行の造りと比較すると、黛バージョンにはロジックが存在する。
 少年時代の自慰行為を天井の節穴から、少女時代のヒロインに覗かれた・・・・・という原体験を乱歩に与えている。
 黛バージョンは難解である、という批評家の指摘を事前に読んでいたが、終盤の展開を除けば、奥山バージョンの方が、観客に想像力を要求する分だけ難解と言ってもいい。
 例えば、時折ヒロインの近くに姿を見せる少女。黛バージョンでは、乱歩をかつて上から覗いたヒロイン静子の少女時代の姿なのだか、奥山バージョンでは、乱歩の心象風景としか説明されない。
 しかし、少なくとも奥山バージョンの前半は、センスのよい語り口が説明不足をカバーしている。
 冒頭『お勢登場』をアニメで描くくだりから(この映像世界は素晴らしい)、佐野史郎に小説を検閲されるくだり、そして横浜ニユーグランドでのパーティーシーンまで小気味よく乱歩を歩かせている。口下手なくせに自己顕示欲が溢れた性格設定も、横溝とのコンビネーションでよく分かる。
 この横溝の描き方は、僕が書くいた頃のキャラクターよりも…異様である。何故横溝を薬物中毒の設定にしたのか、首をひねった。
 乱歩が幻想世界に耽溺するのと同様に、病的なキャうククーを横溝に与えることはこの物語全体からすると得策ではないのでは、と奥山バージョンのラストを見て思った。それについては後述する。
 この物語は一種の恋愛劇である。
 現実世界で女性を抱けない男。女の魅力を自分の作品世界で開花させることによって悦に入る男。それが乱歩である。
 そんな男を愛してしまった女はどうすればいいのか。男の仕事部屋の外で寂しく佇むしかない。
 恋愛劇としての軸をそう決めた時、このドラマは僕にとって人事ではなかった。
 女の不幸の影を見ると、その不幸に涙しながら、作家という人種はそれを自分の作品に容赦なく投影する。現実世界の不幸をとことんまで利用してしまう。
 作家が最も愛しているのは自分がっくり出す虚構である。虚構の女が恋人。このエゴイスティックな自己愛こそが、現実世界にいる女との間をどうしようもなく隔ててしまう。
 作家が主人公を勤めるこの恋愛劇を、乱歩役の竹中直人は懸命に演じていた。

 で、問題のラストである。
 黛バージョンでは、静子を殺人快楽症の女と定義する。断崖で明智と抱擁し、その一瞬に突き落とそうとするシーンもスリリングに描かれている。語り口としては申し分がない。
 明智を劇中劇のカラーに染めるため意識的に人形のように造形した演出は、キャラクターに体温が感じられない分だけ、静子を狂おしく思う明智の恋愛感情を描く時にはマイナスしている。が、侯爵亡き後の展開は、明智と静子はいかなる対決を見せるのかと期待させる。
 事件の真相を告白するから長持ちに入って欲しい、と静子が言う。彼女が前夫を閉じ込めて殺した長持ちである。
 明智はあえてそこに入る。
 乱歩が駆けつける。現実と虚構の壁を突き抜けてやってくる。
 そこで、ほとんど唐突に静子は毒をあおる。
 ここからが黛バージョンの理解できない点である。
 乱歩の目の前に原生林が現れる。乱歩の原体験のような夢世界である。そこで静子と再会する。乱歩は「もう夢はいらない」と言い、静子と抱擁する。ところが静子の姿はかき消え、乱歩は原生林の真っ只中で茫然と佇み……エンドクレジットとなる。
 殺人快楽症のヒロインならば、快楽の極みて恍惚の真っ只中で死ぬべきではないのか。
 乱歩は現実から自分の虚構世界に足を詰み入れた。静子と再会した今の場所が、はかない夢の世界であると知っているはずである。夢はいらないと言うことは、静子との恋愛を、自分の創作世界を、作家としての自分を、放棄することではないのか。
 静子は何処へ消え去ったのか。茫然と佇む乱歩の姿は『作家の死』を意味しているのか。
 登場人物を奔放に動かしたのはいいが、結局収拾がつかなくなって宙に放り出したような結末になっている。
 一方、奥山バージョンのエンディングはどうか。
 乱歩は「横溝君、さようなら」と呟き現実社会と決別をする。
 乱歩は現実逃避の道を選ぶ。しがらみを全て絶って、虚構の女に溺れてゆく。奥山氏が乱歩企画に魅力を感じた時から、この結末が頭にあったに違いない。
 しかし、乱歩が別れを告げる相手が横溝だということが、結末の意味合いを分かりにくくしていないだろうか。
 横溝は、作家と編集者という関係以上にに、乱歩を虚構世界へと追い立てる人間である。横溝は後に乱歩と並ぶ大推理作家になる訳だし、麻薬も常習しているし、言わば、乱歩と手を繋いで『あっち側』へ行ける同じ人種である。
 横溝としても、乱歩が『あっち側』で静子に溺れるのは願ったりかなったりだし、現実のしがらみを代表する人物とは言いがたい。
 乱歩が別れを告げる相手は、やはり自分の妻と子供ではないか。
 脚本作りの最初の段階で、乱歩の妻子を出すべきかどうかは検討課題だった。
 バッサリ捨てる道を取った訳だけど、今こうして奥山バージョンを見ると、やはり乱歩のバックグラウンドとして妻子の存在は必だったように思われる。
 実際の乱歩の妻は、空の米櫃を見せ、「どうするんですか、今月の暮らしは」と、極めて現実的な理由で乱歩を創作活動に追い詰める人間だったという。
 室井滋あたりが面白くやってくれそうな気がするのだ。

 では、僕はどういうエンディングを書いたのか。
 自分の虚構世界て乱歩は静子と再会する。
 しかし乱歩はもう作家として燃焼し尽くしている。静子は「もう安らいで下さい」と言い、未来へ旅つ。彼女の未来とは、遠くに蜃気楼のように見える街、高層ビルが林立する現代の東京である。つまり乱歩は死んでも、静子は、その作品世界は、永遠に生き続けるということだ。
 「君はいつの時代でも生きることができるんだね」と乱歩は羨望のように言う。
 静子は去る。乱歩は「気をつけて行くんだよ」と見送る。乱歩の背後に炎が追ってくる。それは何の炎なのか。乱歩は「あと一行書くまで待ってくれ」と迫り来る炎に言う。
 それは火葬の炎だった。白木の密室の内部には、今、乱歩が書いた最後の一行が記されている。
 『しずこ』と読める。
 長侍ちに閉じ込められた静子の前夫が、愛の極みでそう記したように。
 文字は鬼火に包まれる。乱歩の柩は燃えてゆく……
 江戸川乱歩は、僕にとって読書体験の原点だ。
 ポプラ社の少年探偵団シリーズを10歳で全巻読み終え、乱歩の初期の作品に移り、海外のミステリーヘと手が伸びた。
 乱歩の精神構造を描くことは僕白身を描くことでもあった。
 『RAMPO』に費やした原稿は、いつか形を変えて再生させたい。10年後でも20年後でもいい、乱歩にもう一度肉薄したい。
 奥山氏も黛氏も、傷だらけになりながらも映画館に辿り首いた。
 僕だけが辿り着いていない。
 映画館はまだ遠い。

「映画館はまだ遠い」・・・完
(野沢尚著著より)


2009-06-29 02:00  nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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映画館はまだ遠い・・・② [「映画館に、日本映画があった頃」]

6月16日のつづき
(※「映画館はまだ遠い」の章は長いので分割掲載とさせていただきます)

映画館はまだ遠い・・・②

 ところが1ヶ月後、問題が起きる。
 黛氏は1人で脚本を直せなかった。松竹の社員でもあるライターの榎氏が参加したということを事後報告で知る。
 もちろん僕が下りた後の脚本に誰がどう手を加えようと自由なのかもしれないが、事後報告はないだろう、と思った。僕は曲がりなりにも共作者のはずだ。
 更に驚いたのは、もう1人脚本タイトルに名前が入っている。奥山氏だ。
 僕は松竹側のプロデューサーに問う。「奥山氏は本当に脚本を書いたのですか」と。
 どうやら自分でペンを持って、200枚の原稿用紙を埋めた訳ではないらしい。
 僕は言う「脚本を書いてない人と脚本タイトルに並びたくありません。僕の名前を外して下さい」と。
 そんな発言になったことには、背景がある。その2年前、僕は『その男、凶暴につき』と『ラッフルズホテル』という仕事で、両監督によって脚本をズタズタにされた。それでも前者の作品は何故か傑作になった。が、後者の作品は惨憺たるものだった。その結果作家として責任を持てない以上、僕は自分のタイトルを外すべきだったのだ。
 その後悔をトラウマのように引きずっていたから、次にこういうトラブルが起きた時は、ちゃんと自分の身を守ろうと思った。
 自分が外れることでその作品が確実に駄目になると判断したら、名前を残してはならない。
 2週間後、松竹に呼ばれる。奥山氏、榎氏、黛氏と全員集合だ。
 奥山氏は言う。原稿用紙に字を実際に書いたかどうかという点は重要ではない、と。
 僕は納得できない。
 実際に字を書いたかどうか、それが脚本家にとっては重要なのだ。
 脚本家の命は文章だ。どれだけ素晴らしいアイデアを考えつくか、だけでなく、考えついたアイデアをどれほど素晴らしい文章にできるか、が脚本家の仕事である。
 「脚本料は戴きます。名前は外して下さい」
 それが僕の結論だった。
 以後、奥山氏が実際に脚本を書いたかどうかは知らない。しかし今、完成作品に堂々と名前を記しているのだから、奥山氏の自筆原稿が存在することを信じている。
 こうして、僕は『RAMPO』という仕事から遥か遠ざかった。
 その年の秋、映画がクランクインしたと風の便りで聞く。
 年が明けて、この映画にまつわる話題がセンセーショナルに伝わる。奥山氏が完成した映画に不満で自分の監督バージョンを製作すると発表した。
 僕は後に、奥山氏と黛氏、それぞれから話を聞いて、大体の内情は知ることができた。
 奥山氏とはもう10年の付き合いになるけど、松竹富士でゲリラ的に映画を作っていた頃と、今でも変わらないところがある。組織によって高圧されるとみつみる闘志を燃やす人である。
 様々な問題が表面化した時、奥山氏はNHKが組織ぐるみで挑みかかってきたと感じた。だから燃えた。自分で撮り直すと宣言した。黛氏と作家対作家の話し合いが最後まで行われていたら、あんな大騒ぎにならなかったのでは、と思う。
 しかし1つだけ解せないことがあった。
 10年前、奥山氏はまだ30そこそこのプロデューサーだったが、スタッフに問題があると見るや、クランクイン直前でも容赦なく首を切る人だった。
 僕白身も何度かそういう目に遭遇した。奥山氏の決断によってボツになった脚本は数本あるし、今回の『RAMPO』のように、仕事はしたがクレジットされていない映画はまだ他にもあるぐらいだ。
 奥山氏は黛氏の完成作品を見て、これでは商品にならないと判断を下した。しかし、いくら松竹の重役として多忙を極めたとしても、ラッシュには目を通していたはず。駄目なら駄目でどうしてもっと早く黛氏の首を切ろうとしなかったのか。
 僕の疑問に、奥山氏はこう答えた。
 「それは野沢君と同じて黛さんに何とか撮らしてあげたかったのだ」
 脚本クレジットを下ろしてもらう時、僕は「クレジットだけじゃなく、ホンも引き上げます」と言うこともできたろう。
 それができなかったのは、脚本には黛氏の意見も多く入っていて、僕1人のオリジナル脚本と主張できない弱みもあったのだけど、これ以上のトラブルに発展すれば黛氏が監督として映画を撮れない状況に追い込まれる気がしたからだ。
 恩着せがましく聞こえるかもしれないけど、僕は黛氏に何とか映画を撮って欲しかった。だからクレジットだけの問題で事を収めようと思った。
 NHKエンタープライズでハイビジョン映画の企画をしていた黛さんは、なかなか仕事ができなかった。独特の美意識を持つ優秀なディレクターである。僕はハタから見ていて、NHKは黛さんを飼い殺しにしてるように思えた。
 『乳房』が潰れ『春の雪』も潰れた。その度に黛氏が内向していく姿は、見ていて痛ましかった。
 奥山氏も同じように感じていたのだろうか。
 ビジネスとして割り切ることができず、「もう少し様を見てみよう」と決断を先延ばしにして黛氏に情けをかけたために、ゼロ号試写後のトラブルに発展した、ということなのか。
 ともあれ奥山氏は、「自分で撮り直す」と言ってしまった以上、有言実行しなきやならなくなった。
 だがトラブルの責任を取るために奥山氏は初監督をした訳ではない。彼は心底『RAMPO』に魅されていたのだ。
 こうして2種類の『RAMPO』が世に並ぶこととなった。
 5月6日にイマジカで奥山バージョンを見せてもらった。そして17日に松竹の試写室で黛バージョンを見た。

 このエッセイは、映画館で、金を払った客のいる場で映画を見て感想を記す、というのがテーマだが、今回だけは趣旨を外れることを許してほしい。
 映画が公開中にこのエッセイを掲載してほしかったのだ。僕がこれから指摘する様々なことを、読者の方々はご自身の目で、映画館に行って確かめてほしい。

つづく
(野沢尚著書より)


2009-06-22 09:58  nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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